お花をお飾りすることが、仏様にお参りするのに非常に重要な要素であると考えられています。それは何故でしょうか。
1 仏花は浄土(仏様の世界)を表現しているため
親鸞聖人の御和讃では「一々の華のなかよりは 三十六百千億の 光明てらしてほがらかに いたらぬところはさらになし」と詠まれています。(ちなみにここでの花は蓮華をさしています。)
これは、浄土では花が光明となり、どんな所でも照らしてくれているという意味です。 私たちが暗く沈んでいても、どんなに落ち込んでいても、阿弥陀様は光明で照らしてくれています。 その浄土のようす表現するために花を供えます。
また、花瓶の水は「浄土に満ちている優れた徳の水」を表しています。
2 枯れていく花の姿を人生になぞっているため
花というのは命の象徴でもあります。
どんなに美しい花でもやがては枯れてしまいます。
そして花が枯れたということは、生きていたという証拠でもあります。
私たちの人生は、他の命を頂いて成り立つことばかりです。そのことを示してくれるのが花というわけです。
また仏花は浄土の世界を表現するとありましたが、それだけでなく仏法を示しています。
仏法の「命あるものは必ず萎れ死んでいく」という考えのもと、毒のある花、トゲがあり人を傷つける花は相応しくないとされています。
3 お参りをする縁となるため
花が枯れたら、新しい花を交換していく必要があります。
花を入れ替えるという、仏様へのお給仕を通して、お参りをするきっかけとさせて頂くのです。
なかなか現代ではお参りをするのが難しくなってきています。
花を入れ替える気持ちを持つことが、自然とお参りのご縁となるのではないでしょうか。
仏様へのお供えする花の向きについて
仏壇やお墓に花を供える時に「仏様へのお供えだから、花の表側は私たちではなく、仏様を向いているべきでは?」と疑問に思う方もいるはずです。
ですが花の向きは、私たちに表側が見えるように供えることが正しいとされています。
仏花は、阿弥陀如来の慈悲の働きを表現している
きれいな花を見て、腹を立てたり不機嫌になったりする人がいるでしょうか。
逆に、優しいに気持ちにしてくれたり、悲しみを癒したりしてくれるものです。
「濁り、煩悩の世界を離れ、清らかなお浄土に間違いなく生まれてほしい」 「人と比べたり、ものごとを正しく見ることができなかったり、苦しみ悩むあなたを必ず救う」 と、阿弥陀さまは考えそして願い、いつもはたらきかけてくださっています。 仏花は、いつも私たちに向かってはたらきかけてくださる「仏さまのお心」を表しています。
そして浄土の清らかさを偲ばせていただくため、仏花は仏様ではなく私たちに向くように供えているのです。